LIVERANO&LIVERANOリヴェラーノの世界

Who We Are私たちについて

イタリア・フィレンツェの中心部に、リヴェラーノ&リヴェラーノの工房・サルトリアがあります。1960年代の開店以来、フィレンツェに伝わり続ける伝統と文化を守り続けており、サルトリアでは、何世代にも渡りこの地に受け継がれてきた技術・道具・素材を使い、仕立て職人たちが最上の衣服を生み出し続けています。

伝統や文化を次世代に革新をもって受け継ぐことは最高のラグジュアリーであり、リヴェラーノ&リヴェラーノは、衣服という文化を、今に伝えるサルトリアでもあります。

創業者であるアントニオ・リヴェラーノが好きな言葉は、"Andiamo Avanti !前進あるのみ!”。それが、サルトリアとしてのモットーでもあります。フィレンツェの工房とは別に、アルプス山麓の大理石の産地一マリーナ・ディ・カッラーラに、研究所兼アトリエを構えています。

オーダーメイドの服作りにかける情熱と技術を次世代へと継承していくためにも、わかりやすい生産プロセスの仕組みへと移行したいという、アントニオ・リヴェラーノの情熱から、研究所は生まれました。ファッションという伝統をさらに革新的文化へと開花させていくための、実験・開発・創造ができる空間でもあります。

未来のファッションデザインのために貢献していくことは、リヴェラーノ&リヴェラーノが目指す最大のミッションでもあります。

リヴェラーノ&リヴェラーノは、自分たちの技術に情熱を持ち、名門サルトリアという立場を当然のことであるとは考えていません。イタリアとフィレンツェにおける最高峰のテーラーリング、“Made in Italy”を代表する存在であることを誇りに思っています。“Made in Italy”がラベルに表す価値と重要性に対し、貢献・維持し続けるために、日々たゆまぬ努力をしています。

この度、リヴェラーノ&リヴェラーノの世界観をこのように日本においてお伝えし、日本の顧客の皆様に展開できることを、大変光栄に思っており、誇りに思っています。皆様のお越しを心よりお待ち申し上げております。

Antonio Liverano

Our Historyアントニオ・リヴェラーノが語る
「リヴェラーノ&リヴェラーノの物語」

リヴェラーノ&リヴェラーノは、フィレンツェに現存する貴重なテーラーリング・ハウスのひとつであり、世界でも最上のオーダーメイド・テーラーとして世界でも広く認められています。リヴェラーノ&リヴェラーノは、フィレンツェの象徴的存在であり、海外のトップクラスの紳士服店においてのみ取り扱われています。

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1930s

兄のルイージ・リヴェラーノと私は、幼い頃から、生まれ故郷のプーリア州の仕立て屋でアシスタントとして働き始めました。

1940s

1940年代の終わりに、ルイージはプーリアからフィレンツェに移り、フィレンツェの著名なテーラーの一人であるコメサッティのもとで働きました。その2年後、当時11歳の私はフィレンツェに到着し、新しくオープンしたコメサッティのサルトリアでルイージと一緒に働くことになりました。

1950s

戦後間もない苦しい時期でしたが、ここから新しい未来を築いていこうという時代でもあり、強い希望がありました。私個人的には、家や家族という基本的な幸福を求めていました。

1960s

1960年代には、兄のサポートや指導のおかげで、自分の技術に自信が持てるようになりました。また、より多くのものを求め始めていました。成長したい、発展したいという気持ちが絶えることはありませんでした。この時期に、兄が自分のサルトリアを“リヴェラーノ&リヴェラーノ”と改名し、現在のアルノ川沿い、フォッシ通りの場所に移転しました。

1970s

私は、ヴァレンティナの父親となり、自分自身の野心は益々大きくなっていきました。私たちの業界では、変化の兆しを誰もが感じていました。どこにでもあるようなテーラーではなくなっていったのです。正直にいうと、私は仕立て屋の仕事は、服を作るだけではないと考えていたので、当然のことだと考えていました。

1980s

イタリアでは、“ブーム”の時代、と呼ばれています。ファッションがマーケットを席巻し、テーラーリングはニッチな分野になりましたが、その背景にある崇高な精神性を魅せることによって、市場のなかで差別化を図るには絶好の機会でした。

1990s

自分たちにとっても、ビジネスにとっても、重要な10年でした。私の夢が現実になり始めた年だったと言えます。私たちの小さなテーラーショップが世界的に有名になり始め、私たちの顧客層が明確になってきた時期でもあります。

2000s2010s

私は、兄であり、親友であり、指導者でもある、ルイージを失いました。その後、まもなくして、妻であり生涯の恋人でもあるパオラの死に直面しました。しかし、同時期に、二人の孫、カミラとニコロが生まれ、彼らの存在は私の誇りであり、喜びでもあります。悲しいときも、幸せなときも、私の原動力は決して強靭ではなかった、と言えるでしょう。